2018年4月、新潟第一法律事務所は40周年を迎えました。その節目を迎えて、私たち新潟第一法律事務所は、「一新総合法律事務所(いっしんそうごうほうりつじむしょ)」へと新しく名称を変更しました。
事務所名変更の背景や、新名称に込めた私たちの想いをご紹介します。
私たち「新潟第一法律事務所」は、「普通の人たちの幸福に尽くす」ことをめざして、1978年4月に開設されました。「新潟第一」という名称には、「新潟で地域一番の事務所になる」という想いも込められていました。
司法制度改革以降、司法環境の変化とともに、私たちの事務所は、法人化し、新潟県内各地に支所をもつ事務所として、その規模を拡大してきました。2016年には東京に拠点を出しました。そして、2018年4月には長野事務所を開設しました。
長野に事務所を出すことを契機に、「新潟」の名称にこだわらず、県外の地域に受け入れられるために、そしてこれからさらなる規模を有する事務所になるために、新たな決意のもと、法人の名称変更を決断しました。
新しい名称は、「新潟第一法律事務所」の設立時の想いを受け継ぐ意思を表す象徴としての「一」、さらなる新しさを込めて、そして私たちの起源である新潟の双方を意味する「新」、そして組織力を生かしてあらゆる場面で顧客を支えるという意味で「総合」を加え、「一新総合法律事務所」と名付けました。
「新しい酒は新しい革袋に盛れ」という格言があります。古い酒を育んだ古い器への想いを大切にし、そこから新しく生まれる酒をさらに新しい器で大きく育てるために、「一新総合法律事務所」という名称に決めました。どうか、今まで同様、ご愛顧いただきますようお願いします。
※2018年当時の情報です。
※2020年4月に高崎事務所を開設し、2021年7月時点は全8拠点となっています。
「新潟第一法律事務所」の
理念と想い
「新潟」の地から出発したこと
「新たに」出発すること
組織力を生かし、
あらゆる場面で依頼者を支える
1978年4月~2018年3月
2018年4月~
私たち新潟第一法律事務所は、1978年4月に、今井誠弁護士が一人で立ち上げた法律事務所です。新潟県で一番の地域事務所になりたいという今井弁護士の純粋で素直な想いの詰まった、そして自らを奮い立たせる目的もあった、覚悟の上での名称でした。
その3年後の1981年4月に、和田光弘弁護士が新人弁護士として加入し、複数体制の法律事務所になりました。和田弁護士は、今井弁護士の志と覚悟とその並々ならぬ人生経験に魅かれ、入所以来ともに仕事をしてきたといいます。
今年、2018年4月は40年目の節目の年に当たります。
新潟県内では、燕三条事務所(2003年)、長岡事務所(2006年)、新発田事務所(2008年)、上越事務所(2012年)と開設し、同年、今井弁護士と交代して和田弁護士が理事長となり、2016年には東京事務所を出しました。現在では、弁護士20名以上という規模としては県内第一の事務所となりました。
2018年4月、長野市にも事務所を開設することとなりました。
長野事務所開設以前から、主に山菜原材料の販売会社の様々な法的な対応を通して、長野市の多くの皆様の依頼を受けてきました。長野にも事務所をという要望がありました。しかし、「新潟第一」の名称では長野県の皆様に対し、ある意味で抵抗を感じさせる懸念もあり、躊躇がありました。
この度、40周年を迎え、新たな気持ちで再出発するという想いも込め、私たちは「新潟第一法律事務所」という名称を変更することを決意しました。
2017年の秋には「事務所名変更プロジェクトチーム」のもと、新しい事務所名を決めるための協議が本格的に始まりました。
実際に新しい事務所名を決めるにあたっては、事務所内の全ての弁護士と事務員に公募を行いました。その結果、120件を超える案が集まりました。遠くカンボジアにいる篠田陽一郎弁護士からも案が届きました。それぞれの案に、事務所への想い、地域への想い、そして依頼者の皆様への想いが溢れていました。
そこから約半分の62件に絞り、全ての所員による投票を行いました。「一新総合法律事務所」は、そのなかで最も多くの票を集めた案でした。
そして2018年1月、所員が一堂に会するなか、理事長の和田光弘弁護士から新しい事務所名が発表されると、会場からは大きな拍手が沸き起こりました。
「一」には今井誠弁護士が志を掲げた「第一」の精神が、「新」には「新潟」の地から出発したこと、そして「新たに」出発することの意味が込められています。加えて、個人から中小企業・各種団体までウイングを広げ、地域の広がりも県の枠組みを超えてきた今の当事務所の姿を表すためにも「総合」を入れました。
「一新総合法律事務所」という名称には、これまでの事務所の理念を引き継ぎながら、未来へ向けて新たな一歩を踏み出そうという、私たちの固い決意が込められているのです。
「新潟第一法律事務所」から「一新総合法律事務所」に変わるとした今、私は、今一度、「新潟第一法律事務所」は何者なのだろうか、と思います。
それは、今井誠や和田光弘だったのでしょうか。
それは、土曜日や日曜日でも時に相談に乗り、現場に出かけてきた弁護士たちでしょうか。それは、家族問題を抱える依頼者の皆さんのために、心理や介護の勉強をしようと思いたった事務員でしょうか。また、中小企業の方々に役立つよう、夜遅くまで財務諸表を分析していた弁護士や事務員でしょうか。子ども連れの皆さんのために遊び場を設置した事務所そのものでしょうか。
「新潟第一法律事務所」とはこれら全てを包み込む精神だと思います。
そこに共通しているのは、依頼者の皆さんの安心と納得のために、最も良い(一番の)選択肢を提供しようと努力してきた精神そのものです。
豪雪でも、風雨でも、猛暑日でも、小春日和でも、いつでも、明日を考えようとする依頼者の皆さんのために、少しでも役立ちたい、助けとなりたいという、私たち全員の事務所精神そのものが「新潟第一法律事務所」であり、今度出発する「一新総合法律事務所」が引き継ぐものと肝に命じています。
人間の寿命は、80歳を超えてきました。敬老の日には100歳を超える方々が元気に登場される時代です。その意味で、私たちの事務所はまだまだ若い事務所です。40年を迎えたとはいえ、平均年齢は40歳以下です。経験も技能も、未だ努力が必要です。
弁護士に最も必要とされる能力の一つとしての状況判断能力は、経験を積み、修羅場をくぐり抜け、多くの反省を踏まえて、鍛え上げられて行きます。その意味で、これからも、ますます多くの仕事をしていかなければなりません。
40年を迎えて、新しい名称で出発することは「新しい酒を新しい器に」という精神を込めてのことです。しかし、そこには「新潟第一」の精神を盛り込み、我が地元の新聞社である新潟日報が掲げる3Rである「刷新(リノベーション)、再生(リボーン)、再挑戦(リトライ)」も込められています。さらなる100年を目指して、新しい酒を酌み交わしていきたいのです。
「相談があります。明日でも大丈夫でしょうか。」と聞かれたら、「今日でも大丈夫です。」と応える精神を持ち続け、早くに落ち着いてもらい、依頼者の皆さんが「私にできるでしょうか。」と相談されたら、「私たちの事務所が一緒にやります。」と自信を持って言えるようでありたい、と常々思います。
困難は様々にあるでしょう。それでも、大勢の仲間で、一粒の種を精一杯育て、いつか大きな木の一つになるよう願わずにいられません。どうか、これからも「一新総合法律事務所」をご指導くださるよう、改めて、心からお願い申し上げます。