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2017/08/04

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戦争と戸籍

新潟事務所燕三条事務所長岡事務所新発田事務所上越事務所東京事務所

 

この時期になると、新聞やテレビ等、戦争にまつわる話題が増えますね。
私の身近な人では、祖父と伯父が戦後シベリアに抑留されました。
幸いにも2人とも生きて帰国し(帰国まで相当時間がかかったそうですが)、米寿の頃まで長生きすることができました。
子供の頃から「シベリアの生活ってどんなだったのかな?聞いてみたいな」という思いと、「絶対辛かったはずだから、聞いたらいけない」という思いがせめぎあい、結果、直接話を聞くことはできずじまいでした。
その中で私がその事実の一端に触れることができたこととしては…
祖父はシベリアで一緒に苦しい経験をした仲間のことを「シベリア仲間」と呼んでおり、亡くなるまで交流が続いていたようです。
旅行のおみやげをくれる時には、「シベリア仲間と行ってきたよ」と言って渡してくれました。
伯父に関しては、それこそ私が社会人になってからですが、ロシア語を話すことができる、ということを知り、びっくりしてどうして話せるのかを聞いたところ、「生きるのに必死だったからね」という答えが返ってきました。

 

話を聞くよい機会だったのかもしれませんが、「不毛地帯」(山崎豊子著)のシベリアでの拷問シーンが蘇り、この話題を続けることができませんでした。

 

さて、法律事務所で仕事をしていると、「戸籍」を集める機会がよくあります。
特に相続の案件に関しては、過去にさかのぼって戸籍を集めることも多々あるため、私にとっては祖父母以上の年代の戸籍を集めることも珍しくありません。
過去に一度だけですが、「昭和●年●月●日頃、〇〇沖で戦死」という記載を見たことがあります。
何とも言えない気持ちになり、しばらく凝視していたことを今でも覚えています。
これから先の未来において、新たに同じような記載をされる方が増えることがないよう、願うばかりです。

 

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2013年広島旅行での1枚です。

 

【投稿:阿】

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